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クリムトの魅力と名言、日本芸術との関係性

   

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グスタフ クリムト(Gustav Klimt)は、「接吻」などの絵で有名な、ウィーン、帝政オーストリア時代の芸術家です。
1862年に生まれ、1918に55歳で亡くなりました。2019年現在、「クリムト展 ウィーンと日本1900」も開催されている、とても有名で人気の高い方ですね。

これはクリムトの代表作の一つ、『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I』(Portrait of Adele Bloch-Bauer I 1903-1907)です。美しいですね…。

クリムトの描かれる女性や色というのは、本当に素敵で、もっと知りたくなってしまいます。
そこで、クリムトの魅力について。

まずは、ざっくりとした1.クリムトの人生から、2.作品「接吻」、3.作品「ユディト I」について、最後に4.日本芸術との関係性についてまとめています。

1. ざっくりどんな人?

クリムトは、ボヘミア出身の父とウィーン出身の母の間にウィーン郊外で1862年に生まれました。
学校を卒業すると、弟とその友人とともに、劇場を装飾する仕事を始め、それが早くから軌道に乗り、多くの人に評価され、活躍の場を広げていきます。
若くして将来を約束されたアーティストの一人だったんですね。

しかし、1892年に父親と、仕事も一緒にしていた仲の良い弟が相次いで亡くなると、クリムトの作品は変化の色を強く見せるようになっていきます。伝統的で保守的な美術と一線を画し、新たなアートを追い求めるようになっていくんですね。

そして1894-1901年頃、クリムトが「議論を巻き起こした」として特に有名なのが、ウィーン大学大講堂の天井画として依頼された、「法学」「医学」「哲学」という作品。

これはとても有名な話で、Wikipediaにもこんな風に載っていましたので、引用してみます。

「人間の知性の勝利を高らかに歌いあげるという依頼者が意図したテーマに反し、これら3作は理性の優越性を否定する寓意に満ちたもので、その是非をめぐり大論争を引き起こした」-Wikipediaより

当時、クリムトは相当批判されたようです。是非直接見てみたい作品ですが、残念ながらこれら3つの作品は第二次世界大戦中に破壊され、現存しないようです。(なんとも残念で、勿体無いことです…。)

さて、こんな議論の渦中でもある1897年頃に結成されたのが、「ウィーン分離派」(the Vienna Secession)。これは保守的で伝統的な芸術ではなく、新たな芸術を探し求める芸術家たちによって結成されたもので、クリムトは初代会長を務めました。

よくクリムトについて調べていると、この「ウィーン分離派」という言葉が出てくるので、最初は見るたびに「なんのこっちゃ??」という感じでしたが、これで意味が分かりました。要は文字通り、保守的で伝統的な美術からの「分離」をクリムトは目指していたんですね。だから、「ウィーン分離派」。

それからは、ウィーン大学大講堂の天井画で批判を受けたこともあってか、公的な仕事から距離を置くようになり…
1900年前後に、とうとう金箔を多用した作品を多く製作したクリムトの「黄金時代」と呼ばれる時代が幕を開けます。
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この頃の作品でもっとも有名なのは、先ほども書きましたが「接吻」(“The Kiss” 1907-1908)や、「ユディトI (“Judith I” 1901)」(もしくは”Judith and the Head of Holofernes”, 直訳すると「ユディトとホロフェルネスの首」)、「アデーレ ブロッホ バウアーの肖像」(“Portrait of Adele Bloch-Bauer I” 1903-1907)などなど。
個人的には、接吻、ユディトI 、生命の木(The Tree of Life 1905-1909)も好きだなぁ。
どれも本当に美しい作品で、ため息が出てしまいます。

晩年の1910年代には金箔を使用することが減り、色彩豊かな作品を製作。こちらの時代の作品もとても美しいです!

そして、1918年、この年のインフルエンザの大流行による肺炎と脳卒中(もしくは脳梗塞)によって、55歳で亡くなりました。

それでは、上にも紹介した「接吻」と「ユディトI」について見てみます。

2. 「接吻」(1907-1908)

この絵のモデルは、クリムト自身と恋人、エミーリ エフレーゲだという説が有名です。(ただ、確たる証拠はないようです。)

ちなみに、「恋人」といえば…。クリムトにはたくさんの恋人がいたようです。すごいなぁ〜。その中でも特に、この絵のモデルか?と言われているエミーリ(Emilie Louise Flöge )とは深い関係性であったようで、出会ってからクリムトが亡くなるまで、恋人であった人のようです。素敵なことですね…。

この「接吻」…。もう、何も必要ないですね、見てわかります。ただただ美しいですね…。

「怖い絵」シリーズで有名な中野京子さんの本、「名画の謎 対決篇」の冒頭にもこの絵が登場します。冒頭部分を少し引用させていただきますと…。

「恋焦がれた相手に抱きしめられ、溶けてとろけたその絶頂にはもう、いつ「死んでもいい」…。

まさに、そんな溶けてしまうような幸福感が伝わってくる絵ですね…。本当に美しい。

3. 「ユディトI」(1901)

この絵もとても有名で、こちらもただただ一言、美しいです。

ただ、最初に見た人は、こう思いませんか、「ユディトって何?誰?」(ユーディトと表記されることもあります)

ユディトは、女性の名前です。それも、旧約聖書外典に登場するユダヤの女性の名前。そしてこの「ユディト」は古くから題材として描かれてきた主要なテーマの一つだそう。

…というのも、このユディトには、「ストーリー」があるんですね。このストーリーを、ものすごくざっくり書いてみます。

ユダヤの町に将軍が侵攻し、街が陥落状態に。このままでは、街が危ない!危機的状況。
そんな時に立ち上がったのがこの女傑、ユディト。彼女は命がけで敵陣におもむき、相手の将軍、「ホロフェルネス」の寝首をかくことに成功します!

クリムトの絵でも、その将軍の首を持っています。まぁ、なんと勇敢な。まさに「女傑」という言葉がふさわしい。
ということで、この女傑「ユディト」は多くの画家の作品に登場する有名な題材の一つ。そしてユディトが描かれるときは、「これはユディトですよ〜」と見ている人に伝えるため、「首」や「血のついた武器」がセットで描かれるというのが通例のようです。(だいぶ怖いですが…。)

ユディトの絵に関しては、中野京子さん著の「怖い絵」の中の、「ホロフェルネスの首を斬るユーディト」(女性画家アルテミジア ジェンティレスキの作品)の項でも語られているので、そちらを読むとよくわかります。
さきほどからよく出てきますが、中野京子さんの本、面白くて大好きなんです~。
(ただ、本「怖い絵」の中で語られているこのユーディトの絵は本当に、クリムトのものと全然雰囲気が違い、正真正銘の超〜怖い絵ですから、注意が必要ですよ!)

クリムトの手にかかると、女傑、ユディトはこう描写されるのですね。
なんとも言えない、色のある恍惚とした表情が見る人をぐっと惹きつけて離さない作品です。

4. 日本芸術との関係

さて。こんなにも美しい作品を生み出したクリムトは、日本美術の影響を強く受けていたことも知られています。

この当時、19世紀末から20世紀初頭にかけて(西暦でいうと1900年代前後)、ヨーロッパでは「ジャポニズム(Japonism)」が登場しました。
これは日本語で「日本趣味」なんていう風にも言われますよね。浮世絵などといった日本美術が、ヨーロッパの芸術に大きく影響を与えたことを指しています。

この日本芸術が大変注目を浴びた「ジャポニズム」に大きく貢献したイベントの一つとして、明治政府が1873年のウィーン万国博覧会 (Weltausstellung) へ初参加したことも一つあったようです。
ウィーン万国博覧会で日本美術は大変な注目を浴び、大成功を収めたんですね。

ここに関して調べてみますと、「アールヌーヴォー国際会議2018」の英語資料、Svitlana Shiellsさんという美術史の教授で、ジャポニズムを研究していらっしゃる方の資料が出ていました。その方の資料から引用させていただくと、この万国博覧会、何もせずにただ成功をしたわけではなかったようで、明治政府は、ドイツ人の学者を雇い、ヨーロッパ人の好みを考え、事前に成功のために相当な準備を行ったそうです。

The Meiji government dedicated its best resources and enormous efforts to the preparations for this event. (Svitlana Shiells教授 – Art Nouveau International Congress 2018より引用)

そして、そんな大変な準備の甲斐あって、200以上もの日本の作品が賞に選ばれたそうですよ。この時アメリカが受賞したのは2つだけだったのと比べると、大変な数ですね。

当時の日本人の方々、やりますね~。

そして、さらにこの資料を読み進めていくと、 こちらには「伊藤 若冲(1716-1800)」の作品、特に「雪中錦鶏図」から受けた影響を、クリムトの「ソーニア・クニップスの肖像(Portrait of Sonja Knips)」という作品に特に焦点を当て、分析されていてとても興味深かったです。

クリムトの日本美術に対する情熱は並々ならぬものがあったのは間違いないようで、かなりの強い影響を受けていたようです。(日本人として、なんだか嬉しいなぁ。)

5. クリムトの名言

では、最後にクリムトの名言を紹介します!

There is nothing that special to see when looking at me.(- Quotefancy.comより引用)

訳してみると、「僕自身には、見るに値する特別なものは何もない。」

自分についての自画像や文章をほとんど書かなかったという、クリムトらしいコメントですね。謙虚だなぁ。

Sometimes I miss out the morning’s painting session and instead study my Japanese books in the open.(ー quotes, the famous people.comより引用)

僕は時々、朝の絵画のセッションへ行かない代わりに、日本の本を開けて、勉強することがある。

上でも書きましたが、クリムトの日本美術に対する傾倒、深い関係性を表す一言です。

そして、最後はこちら。

“Whoever wants to know something about me,ought to look carefully at my pictures and try to see in them what I am and what I want to do.”
(-Artsy, “what you need to know about Gustav Klimt”より引用)

僕について何か知りたいのなら、僕の絵を注意深く見て、僕が何者で、何をしたいのかを感じるべきだ。

クリムトが言われているように、絵を見て、感じてみます。!

まとめ

黄金期を経て、「接吻」や「ユディト」を始めとする、特に女性の美しさが際立つような数々の作品を生み出したクリムト。
クリムト自身の言葉とされるものを読んでもわかりますが、クリムトは女性をこよなく愛していたんでしょうね。その美しさを描き続けて、その幸福感というか、とても神聖なものが伝わってきます。

そんなクリムトが、日本美術の影響も強く受けていたと知るのは嬉しいですね。

また、クリムトの絵に限らず、こういったヨーロッパの美術が好きな方だったら、中野京子さんの本は、とっても良いですよ〜!

あ~クリムト展に行きたい!ウイーンへ、いつか行ってみたいです。

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