戦後の「ブレトンウッズ体制(IMF体制)」と「ニクソンショック」について、簡単にまとめてみた!
2019/01/24
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「コレ、学生の時習ったけど、結局どういう意味だっけ?」が多いことに気がつき、経済の勉強をし直しています。
今回は、1944年の『ブレトンウッズ体制(IMF体制)』〜1971年『 ニクソンショック』について、大雑把にまとめてみました。
この体制は、ブレトンウッズ会議(協定)によって構築された戦後の経済体制のことなのですが…。はて。なんのこっちゃ。
まずは、簡単な説明から見てみます。
植民地を多く持っていた国々が、「ブロック経済」を行ったことが第二次世界大戦に繋がっていったという反省から、自由貿易を推進し、世界の発展を目指すために持たれた会議。
唯一戦場とならず、世界の金を多く保有し、強い経済力を誇っていたアメリカ主導の会議であった。
…うーん。分かったような、分からんような。これだけじゃ分かりにくいので、ゆっくり見ていきます。
ブレトンウッズ会議とは簡単に言うと、「自由貿易を推進して、世界中で、経済的にも協力していこう」という会議だったわけですね。
そして、それを考える上で大切になってくるのが、
通貨、為替レート。
なぜなら、貿易とは国同士の取引なので、ドルを使うのか、円を使うのか?円とドルの価値は等しいのか?=為替レートはどれくらい?
そんなことが必ず関わってくるからです。
では、この為替相場(自分の国の通貨と、他の国の通貨との交換レート)を安定させよう!という話になり、このブレトンウッズ体制下では、『ドルを基軸とした固定為替相場制』と決められました。
これって、どういうことでしょう?
現在は、「変動為替相場制」です。これは、為替レートがその時々で変化するということですよね。円とドルの為替レートも、需要と供給のバランスに応じて、100円になったり120円になったりしながら…いつも動いています。
この『固定為替相場制』というのはその逆で、各国の通貨の為替相場(通貨の交換比率)を一定に「固定」する、というもの。
例えば、ブレトンウッズ体制下では、円は1ドル=360円に固定されました。
なるほど。
固定されたから、固定為替相場制、なんですね。分かりました。
では、『ドルを基軸とした固定為替相場制』の、『ドルを基軸とした』という部分は、どういう意味か?というと…
金と並んで、ドルを「国際通貨」としたということですね。
(だからこのブレトンウッズ体制は、金・ドル本位制と呼ばれることもあります。)
ちょっと待って、この「国際通貨」って何でしょう?
これは、一言で言うと、国際的に取引をするときに使用される通貨のこと。
でも、いきなり誰かが「取引の時には、ドルを使おう」と宣言したとしても、国際的に皆「そんな訳の分からない貨幣なんて、つかいたくないよ!」となってしまうんですね。
お金というのは「価値」がなくなれば、ただの紙切れになってしまいますから、大変なことです。
どうやって皆にドルを使ってもらおうか、国際的なドルの信用を高めようか?
そこで登場したのが金です。
ドルと金の交換率を1オンス35ドルと決めて、ドルと金との交換を保証しました。万が一何かあっても、ドルが「紙切れ」になることはないよと。いつでも金と交換できるからねと。
ドルは、確実に金と交換できる、「金の価値に裏打ちされた信頼できる通貨だ!」ということになります。「だから、ドルを使って国際的な取引をしよう!」と。
ということで、その「金との交換OK紙幣=兌換紙幣」のドルを基軸通貨として、各国の為替相場(交換比率)を定め、一定に保つことで、貿易を発達させ、世界経済を安定させようとしたのです。
そして、これを支えるため、IMF(国際通貨基金), IBRD(国際復興開発銀行)などの組織が発足。そして関税と貿易に関する協定を定めた「GATT」も作られました。
これで、「ブレトンウッズ体制」の完成です!
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その後、ニクソンショックへ
第二次世界大戦が1945年に終わると、世界は共産主義陣営(ソ連など)と民主主義陣営(アメリカなど)との冷戦に突入していきます。
その下で行われたベトナム戦争では、アメリカの軍事支出が膨大なものとなり、大量にドルを刷ることになりました。
また、アメリカ以外の世界の国々の経済も戦後、復興し、プラスになった分のドルを、金に換えていきました。
結果、アメリカの金保有高は急速に減ってしまいました。
どんどん世界の経済規模も大きくなり…
財政赤字や、輸入超過による貿易赤字も膨らみ…
金の保有高も減り…
1960年代頃からアメリカの経済が行き詰まっていきます。
そして、とうとう1971年、「(金の量が足りないので)ドルと金を交換できません!」とアメリカが宣言しました。
「ドルと金の交換を停止します!」
このドルと金の交換停止などの措置を発表したのが当時のアメリカ大統領、ニクソン大統領だったことから、その名前をとり、「ニクソンショック」と呼ばれていますよね。
金との交換が停止されたことで、みんなびっくり。
「えっ!金といつでも交換できるから、ドルは信頼できたのに!」ドルの価値は暴落。
そのことから、ドル危機、ドルショックと呼ばれることもあります。
そしてその後も、ドルの価値を切り下げて、今度は360円でなく、1ドル=308円の固定相場制にしたりしてなんとか持ち直そうとしましたが、ドルの価値の低下を止めることは出来ず。
1973年に変動相場制となり、「ブレトン=ウッズ体制」は崩壊を迎えました。
ちょっと早足ですが
以上、ブレトンウッズ体制からニクソンショックまでの流れ、それぞれどういったものか、大〜まかな情報をまとめてみました。
どうやって国際社会が変遷してきたのか…すごく興味深いです。1973年とか、そんなに遠い昔のことじゃないですね。改めて、世界はめまぐるしく変化しているなぁ。
…そして、ブレトンウッズといえば、固定為替相場制、IMFやIBRD (WB)などの機関が生まれた。ということはよく知られていますが…。
IMFやWBといった組織に関しても、この時にしっかりとした「目的」があって作られてはいますが、どう動き、何をしてきたか?実際に各国でどういった行動をしてきたか?行動と結果を見ていくことが大切ですよね。
国際社会ではそれぞれの国が、自分の国の「国益」を優先しますから…。
現実を見て、そこから学んで行けたらなぁ。