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わかりやすくギリシャ危機とは?その後どうなった【経済まとめ】

      2020/11/04

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わかりやすくギリシャ危機について知りたい。その後どうなったの?

そんな疑問にお答えします。

本記事の内容

  1. 危機が起こった「ギリシャ」はどんな国?
  2. ギリシャ危機発覚
  3. 原因はなんだった?
  4. その後の流れ
  5. おわりに

この記事を書いているのは、留学経験あり翻訳者。
経済や世界の話ってニュースでよく見ますが、複雑なことは苦手なので、可能な限りわかりやすく、簡単に!
ざっと「基礎を把握すること」をモットーに、今回は「ギリシャ危機」についてまとめてご紹介します!

わかりやすく!ギリシャ危機とは?その後どうなった?【経済まとめ】

早速いきましょう!
ギリシャ危機って、なんでしたっけ?
まず、一言で説明してみます。

ギリシャ危機は、2007-08年のリーマンショックに続いて起こった、ギリシャを発端として起こった一連の経済危機のこと。
2009年、ギリシャ政府による財政赤字の隠蔽が発覚したことから表面化した。

…ふむ。
一言で言うとこういうことですよね。
では、もっと具体的に見ていきましょう。

「ギリシャ危機」と名がつくくらいですから、まずは、この危機が起こった「ギリシャ」ってどんな国だっけ?ということがわからないと、ピンと来ませんね。

危機が起こった「ギリシャ」はどんな国?

ということで、ギリシャはどんな国かを、ざっと見ていきます。

世界地図をひろげてみると…地理的にギリシャは、ヨーロッパ南東部に位置していて、アジアやアフリカへの、まさに入り口のようなところに位置しています。
地中海、イオニア海、エーゲ海に面していて、たくさんの島があります。

面積は、日本の約3分の1程度(約132000平方キロメートル)しかありません。

人口は、2015年のIMF予想値だと約1081万。
2017年のデータでは1077万人となっているものもありました。
だいたい1000万人~1100万人の間くらいですね。

数値だけではピンとこないかもしれませんが、日本の人口が2017年で約1.268億人ですから、面積と人口で比べると、かなり小さな国ということができそうです。

では、そんなギリシャの首都はどこかというと、「アテネ」です。

では、ギリシャの首都アテネといえば何が有名でしょう?
アテネは、古代ギリシャ(ギリシア)の代表的な「ポリス」であったといわれています。

この「歴史」は、ギリシャを語る上で外せないです。
が…「ポリス」ってなんでしたっけ?
ポリスは「都市国家」と訳されるようですが、ざっくり書くと、市民によって民主政が行われた政治形態、そんな風に市民によって運営されていた都市国家を指します。
王族や、貴族によってではなく、「市民によって」行われたというところが、現代の民主政治にも通じる、大事な基盤を作った!ということも言われています。すごい!

そして、そんな大きなポリスであったアテネに、紀元前5世紀頃に作られたのが、かの有名なギリシャの世界遺産、「パルテノン神殿」

ちょうどこのパルテノン神殿が建てられた、紀元前5世紀~4世紀あたりが、古代ギリシャの文化的な最盛期と言われています。
ギリシャ建築や彫刻が花開き、ソクラテスといった哲学者たちも活躍するなど、今もとても有名な、ギリシャ文化、芸術の数々が花開いたんですね~。

そんな風に、とても古い歴史のある街、アテネ。
古代の歴史を感じようと、たくさんの観光客が毎年ギリシャを訪れています。

World Tourism Organizationのデータによると、2018年、なんと約3000万人の観光客がギリシャを訪れたとのこと。
この数はこれまでで最高という記事が、英語のサイトでもたくさん出ていました。右肩上がりですね。

(ちなみに「statista.com」によると、ギリシャの観光客数、2016年は約2370万人、2017年は約2600万人だったようです。増えていますね~)

観光客が増えるのは経済的には良いことでしょうが、数が多すぎて「overtourism」(観光客の数が多すぎる状態)状態になり、ギリシャは対処しきれないのではないか?という懸念もあるようです。

…ということからもわかりますが。
なんといってもギリシャの主な産業は「観光」なんですね。
そして、海に面する国ですから、海運業も盛んです。

美しい海や、世界遺産に恵まれており、観光客もたくさん訪れる。

ギリシャ基本情報まとめ
面積:日本の約1/3程度 (約132000平方キロメートル)
ヨーロッパ南東部 地中海、イオニア海、エーゲ海に面し、沢山の島がある
人口:1077万人(2017年)
首都:アテネ
古代ギリシャの代表的なポリスだった
→「パルテノン神殿」など多くの世界遺産を擁する
主要産業:観光、海運業など

ざっくり以上が、経済危機の舞台、「ギリシャ」という国の簡単な基本情報です。

ギリシャ危機発覚

そんな美しい観光立国、ギリシャの経済の問題が発覚したのは、リーマンショック後の2009年
ここから起こった一連の流れが「ギリシャ危機」と呼ばれています。

この時、ギリシャ政府がこれまで発表していたよりも、実はもっとギリシャの財政赤字が多くて、経済がひどい状態であることが発覚しました。

そして2010年にかけて、世界的にそれが表面化していき、ギリシャ国債が暴落。
ギリシャはユーロの一員なので、ユーロも下落して…その混乱の影響が波及していった…という流れです。

<2009年発覚>
ギリシャ政府の発表よりも、実際は財政赤字がもっとひどかった!

ギリシャ国債暴落

ユーロも下落

ここまで見ると、多くの人が、こういう感想を持つと思います。

そうか~。それは大変だわ。
政府、赤字隠していたのはまずいでしょ。

そうですよね。赤字を隠していたのはもちろんまずいのですが。
ちょっと待ってください。

そもそもギリシャの財政赤字が膨らんだ原因はなんだったのでしょう?

赤字が膨らんだ原因は?

これ、一番よく言われるのが、ギリシャ国内の「年金制度」の問題です。

ギリシャでは、EU諸国の中でもかなり年金制度が優遇されていた。
早くからたくさんもらえるようになっていたんですね。
(年金に費やされるお金をGDP比でみても、EU諸国のなかでも、相当高い数値だったようです。)

これは当然、財政を圧迫します。

この他にも、

「これじゃあ財政赤字が膨らんでも仕方ないよね」
「政府としてやっていけないね~」

ということが、たくさん出てきた。
これをまとめて、挙げてみます。

例1. 年金制度問題

→「早くたくさんもらえる」
(EU諸国のなかでも、年金に費やされるお金の割合が非常に高い)

例2. 公務員多すぎる問題

→公務員多すぎて大変。
公務員の給料が財政を圧迫

例3. ギリシャ政府が信頼できない問題

「そもそもギリシャ政府が申告する統計の数字が信頼できない!

これはどういうことかというと…

ギリシャ政府:「財政赤字GDP比は98年、2.5%でした」

「やっぱり4.3%でした。」
ユーロ圏の他国:「えっ!」

そもそも、「ユーロ」に参加するためには3%以下じゃないとダメだったのに、それも満たしていなかったと。ごまかして参加していたんですね。

政府自体の信頼問題です。
「政府発表の数字信頼できない…」ってなるの、わかりますよね。

こうして見て行くと、ギリシャ危機の原因として、ギリシャ政府に問題があったことは間違いないようです。

しかし、ギリシャ政府の問題以外にも焦点を当ててみると、こんなことが原因として挙げられることもあります。

共通通貨「ユーロ」の問題

ギリシャはEU(欧州連合)のメンバーで、共通通貨「ユーロ」を使っています。
このため、国にあった金融政策ができない、と。

これは例えば、ギリシャとドイツを考えて見るとわかりやすいです。
ギリシャとドイツでは、経済状況が全く違います
それにもかかわらず、同じ通貨の「ユーロ」を使っていることから発生する問題のことです。

…少し考えてみれば、確かに。
ヨーロッパって一言で言ってもいろんな国がありますからね。
「同じ通貨を使っているってことは、金融政策とかどうなってるんだろう?
ユーロって、難しいこと沢山あるんだろうな~」って思いますよね。

…深堀すると長くなりますので、ここは、ユーロからギリシャ危機に話を戻します。

そんな様々な原因が絡み合って起こったのが、ギリシャ危機でした。

では、その後、どうなったのでしょうか?
ギリシャ危機の流れを時系列に沿ってみていきます。

危機発覚、その後の流れ

最初からいきましょう。

2010年

財政状況の悪化が表面化して、ギリシャの経済状況が想像以上に悪くなっていたことに、皆が驚いていた時期です。

この後、ギリシャ国債の格付けが相次いで引き下げられ、「これは…マジでギリシャ財政破綻するかもな…」と多くの人が不安になった結果、ギリシャ国債が暴落
そしてこの時に、IMF(国際)とEU(特にドイツ)からの第一次支援が決定されました。

ギリシャ政府は、緊縮財政 (政府の支出を厳しく減らす)へ。
ギリシャは、金融支援を受ける代わりに、厳しい条件、改革を実行する必要がありました。

これ。確かに、お金を支援するドイツ側からしても、ただ「はい、どうぞ」って渡すだけというわけにもいかないですよね。
「支援するから、その代わり、しっかり節制してよね!」って感じでしょうか。

ただ、大変なのは、国民の人達です…。
景気は落ち込み、失業率は上がり、国民の生活は苦しくなる一方でした。
そのため、デモや暴動もたびたび発生したようです。

この時期にギリシャについて書かれた、イギリスの新聞「The guardian」の記事のタイトルは、こんな感じです。

How did the Greek economy get into such a mess?

意味:
ギリシャ経済は、どうやってこれだけの窮地へ?

う~ん。当時の様子を物語っています。
「どうやったらこんなにひどい状態になるのよ?」と。イギリスの新聞も呆れモードですね。
事の重大性が伝わってきます。

そんな大変な状態が発覚した結果、支援を受けながら、緊縮財政を開始した、その後ギリシャはどうなっていったのか?

5年後を見てみましょう。

2015年

この年、ギリシャでは総選挙で「反緊縮派」のチプラス政権が誕生。
欧州中央銀行(ECB)からの金融支援が終了する時期でもあり、「これからどうする?!」っていろんな議論がされていた、変化があった年です。

国内の様子はどうだったのでしょうか。
イギリスのメディア、BBCの2015年、6月の記事から引用します。

Banks to stay shut, capital controls imposed

意味:
『銀行は休業継続、資本規制実施』

2015年の6月28日時点で、銀行も休業。
この記事によると、7月7日まで銀行が休業する、とのこと。

そして、「資本規制」も行われていたようです。

…ちょっと待ってください。「資本規制」ってなんでしたっけ?

この資本規制というのは、資金が国外に急激に流出するのを防ぐために、それを制限する規制のことで、過去にもアルゼンチンなど、金融危機に陥った国で行われてきたようです。

具体的にギリシャではこのとき、「1つの口座から、1日に引き出せるのは最大で60ユーロまで」とか、「必要不可欠、もしくは事前に認可を得た商取引以外での、海外への現金の移動は禁止」といった資本規制が行われたとか。

ふぅむ。
ちょっと想像がつきませんが…。大変さが伝わって来ます。

そして、ここからおよそ1ヶ月後の7月
緊縮財政策(政府の支出を減らす)を受け入れるか否か?についての国民投票があり、ギリシャの人々は緊縮財政策「反対」に投票。

ところが、ギリシャ政府。

ユーロ圏に残りたければ、財政改革を受け入れるしかないところまで追い詰められていたようです。
結局は、緊縮財政改革をすすめることになりました。
そして、改革を受け入れるかわりに、融資を受けることができたため、当面の危機を回避。

ドイツなどから、お金の支援を受けるには、緊縮財政改革を受け入れなくてはならない。
でもその改革は厳しいもので、国民の生活は苦しくなる一方だから、国民は「反対」。
でも結局、ギリシャ国民の願いむなしく、融資を受け、改革を進めることになった。

国民のみんなが、辛いですね…。
何のための投票だったんだと。政府に対してデモが起こる気持ち、想像できます。

ギリシャはどうなっていったんでしょう?
2年後を見てみます。

2017年

再び、ギリシャ議会は追加融資を受けるための条件である改革法案(年金削減や増税など)を可決。

緊縮財政を続けつつ、追加の融資を受けて…
なんとか少しずつ改善してきたという感じに見えますが、どうなんでしょうか?

2017年、7月の時点でギリシャ危機について書かれた記事を見てみます。
イギリスの「The Guardian」より。

‘People can’t see any light at the end of any tunnel’

『国民はトンネルの向こうに、一筋の光も見つけられない』

…。え。
2017年時点。危機が発覚して7年経っていますが、かなりネガティブなタイトルです。
ギリシャの人々の生活がどれだけ大変であったかを、感じさせます…。

「statista.com」で再び調べてみますと、2017年の時点で、ギリシャの失業率はEUの中でも最も高い、21.41%でした。
(2013年にはさらに高い、27.47%を記録していましたが)

ちなみに日本の失業率は2017年、約2.8%。
他の国、アメリカやドイツ、イギリスなども全て、ほぼ一桁ですから、さすがに、20%超えというのは…。
相当に高い数値であったことがわかります。

2018年

そして、ついにこの年の6月。
一応ユーロ圏財務相会合で「ギリシャ財政危機」の「収束」が宣言され、8月にはなんと8年ぶりに、ギリシャは金融支援から脱却

“EU says Greece can ‘finally turn the page’ as bailout ends”
(2018年、8月20日のThe Guardianの記事より)

『金融支援が終わり、ギリシャは「ついに新しいページへ進むことができる」とEUが述べる』

つ、ついに…!8年越し…!な、長い…!
2017年時点ではまだ、どうなることか心配でしたが、なんとかその1年後、2018年に金融支援から脱出できたのですね。

以上の流れをまとめておきます。

危機が2009年に始まって以来、ギリシャは、EU諸国(特にドイツ)やIMFから、大きく三度に渡る支援を受けた。
その支援を受けるかわりに、ギリシャ政府は緊縮財政策を行う必要があった。

2015年、国民投票が行われ、結果国民は緊縮財政、財政改革「反対」だったが、政府は財政改革を実施し、支援を受け取る。
2017年にも、緊縮財政は継続。
「国民はトンネルの向こうに、一筋の光も見つけられない」状態。

そして2018年8月、ようやくギリシャは8年ぶりに金融支援から脱却。
ギリシャは「ついに新しいページへ進むことができる」とEUが発言。

危機からのその後、支援から脱却できるまで、長かったですね…。
今後、どうなっていくのでしょうか。

おわりに

以上、「ギリシャ危機とは?その後どうなったか?」のまとめでした。

ちなみに、ギリシャを主に支援した、「EUの優等生」・ドイツ。
ドイツ人の方にお会いした際、このギリシャ危機についてどう思っているか?と聞いたことがあるのですが、その人は「ギリシャの人達は働かないからだ」と不満を口にしていました。
ふむ〜。なかなか、難しい問題ですよね。

ドイツ人は勤勉な国民性で有名ですが…。
ヨーロッパと一口に言っても、国民性も全然違うようですから、立場によって、いろんな意見がありそうです。

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