薮から猫

英語勉強、生活、音楽などについて、薮から棒にまとめていきます。

本「英傑の日本史 坂本龍馬編」の面白さと、薩長同盟と福岡藩黒田家について

      2018/11/01

スポンサードリンク

坂本龍馬没後150年が経過し、坂本龍馬展が開催されていました。

日本史好きなので、早速、坂本龍馬展に行ってきました。そんな関係もあってか、幕末のことをもっと知りたくなったので、本を探して読んでみました。それで手に取ったのがこの本。
英傑の日本史 坂本龍馬編<英傑の日本史> (角川文庫)結果、すごく面白かったです。

ということで、幕末や歴史の魅力について語りつつ、この本の良かったところを挙げてみました。

『当時の常識』で考えることを教えてくれる

この本で一貫して言われているのが…
『現代の常識を離れて当時の常識で考える』こと。
この当たり前の所が、歴史を見る上で『実は驚くほどできていない』と書かれています。

これ、どういうことでしょうか?

…例えば、今では当たり前にできるお互いの「位置確認」。
これが当時は出来なかった、という単純な事実があります。

幕末の主要人物、坂本龍馬は土佐(高知)、西郷隆盛は薩摩(鹿児島)、桂小五郎は長州(山口)出身。皆バラバラの中、現代風に言うと、「今どこ?京都に○日集合ね。薩長同盟について話し合おう。」
これが出来なかった、と。

勿論、新幹線も電車もないため、何日もかけて京都に行って会いに行っても、「○○さんなら、昨日ちょうど土佐に行きましたけど」と、入れ違ってしまったりすることもあります。

…そう、全国の様々な人材と会って話し合うだけでも、どれだけ大変なことだったか?ということです。

『こうした中、たとえば薩長同盟を立ち上げることが、どれだけ大変なことか、これはもう実感としては、われわれ現代人にはつかめないのだと思う』― 14ページより

本当だぁぁああああ!!

…となりました。

そんなこと、考えたことなかった。
そうかこれ、どれだけ皆が苦労して、例えば薩長同盟を成し遂げたのか…それがどれだけ凄いことだったか。
想像が膨らんで、改めてこの時代の方々の苦労や凄さを感じられます。
歴史は人間ドラマですね~。

有名な坂本龍馬と、妻のおりょうとの仲にしたって、現代人が思うよりも、ずっと切ないものであったことが想像できます。

次戻ってきてくれるまで待つしかない。少しでも情報を待ち望む。
もしかしたら、もう会えないかもしれない。

せ、切ない…。

今の自分たちの「常識」の感覚と繋げて…当時の「常識」を感じてみる。
そこから想像力を働かせて、歴史を身近に感じる事が出来るというか…、そういう風に書かれているので、面白いです。
<スポンサードリンク>

出来事の「凄さ」を、より感じられる

坂本龍馬と切っても切れない「薩長同盟」。

歴史の教科書なんかでは1行、『犬猿の仲だった薩摩藩と長州藩が手を結んだ出来事』として知られていますよね。

薩長同盟ね。

あ、そう…。へぇ〜。

…。

…ただ1行で説明されただけでは、「へぇ〜」で終わってしまいます。しかしこの裏には、壮大なドラマがあったのです。
この本では、こういった一つの歴史上の出来事が、どれだけ凄いことだったかを、とても分かりやすく紹介してくれています。

例えば、この「薩長同盟」に焦点を当ててみると…

手を組んだ薩摩と長州は本当に、文字通り「犬猿の仲」だったのです。

これ。ただ「犬猿の仲」とだけ書いてあると、勘違いする人も居ます。

ポケモンでいうサトシとシゲル、悟空とベジータ、ルパンと銭形警部…みたいな、そういう、「嫌よ嫌よも好きのうち」みたいな「ライバル関係」を想像して、
薩摩と長州も、どうせ、そんな感じの好敵手みたいな、良い関係だったんだろ〜?」と。(※ 歴史ファンで、超詳しい方々は勿論そんなことないんでしょうけど)

が、薩摩と長州の仲が悪かったのは真面目なレベル
かなり根深く、リアルに仲が悪かった。リアルに。

では、なぜ仲が悪かったのか?

これを知るには、簡単に薩摩藩と長州藩の背景を振り返ってみる必要がありそうです。

薩摩藩と長州藩は、歴史を遡れば元々、関ヶ原の合戦(1600年)で負けた藩同士。
負けてしぶしぶ徳川幕府に従ったその精神がずっと受け継がれていたため、幕末でも、倒幕派(幕府を倒そうぜ派)。幕府を倒すことに躊躇いがありません。

だから元々、薩摩と長州は共通の精神を持った仲間でした。
このままなら、仲良くできたはず。

しかし。薩摩藩が、佐幕派(幕府を守ろうぜ派)であった会津藩(福島)と結託し、長州藩を武力で京から追い払ってしまいました。長州藩からしたら当然、腹が立ちます。

「何で幕府側である会津藩の肩を持って、元々仲間であった我々に武力行使するんだ、薩摩藩め」って感じではないでしょうか。

そして、有名なあの事件。

1864年、京都で起こった禁門の変=蛤御門(はまぐりごもん)の変です。
交戦勢力は、
長州藩 VS 江戸幕府(会津藩+薩摩藩など)

この戦いで亡くなった人といえば、有名なのは、長州藩の偉人、久坂 玄瑞(くさか げんすい)

『…久坂 玄瑞は禁門の変で戦死した。つまり薩摩に殺されたも同然である。だから、高杉晋作ですら「夷人(外国人)の沓を頭に載せるとも(踏まれても)、薩摩とは手を握らぬ」と叫んだのである。』―165ページより

なんてこった。

思ったよりも、薩摩と長州には壮絶な背景があったんですね。
サトシとシゲルみたいな関係だろ〜とか言ってたら、ボコボコにされるレベル。笑えない仲の悪さ

とてもとても深い因縁がありました。

この背景を知って、お互いの心理状態を想像すれば、…二つの藩が手を組むことなんて…無理でしょう。と言いたくなります。

しかし、それだけの関係性だった二つの藩が、手を握ることになったのだから、まさに薩長同盟は『幕末の奇跡』

「薩長同盟」なんて用語を覚えるだけじゃ、なにも感動しませんが。ここには壮絶なドラマがあったんだな…と感じさせてくれるので、すごく楽しみながら読めます。

歴史の影にも焦点をあてている

最後。歴史には光があれば影がある。よく知られている人物から、知られていない人物まで。この本では、そういった歴史に埋もれてしまった「影」の部分のエピソードをあえて簡潔に紹介してくれるので、より立体的に知ることができました。

例えば…先ほどの薩長同盟。この同盟が成立した裏には、色んな人物の活躍がありました。が、実はあまり知られていないところで、福岡藩黒田家の存在が紹介されています。

ん?福岡藩黒田家?となりませんか。

名前の通り、福岡にあった藩のことで、筑前藩と呼ばれることもあるそうです。
が、本当にあまり有名じゃありません。ほとんど幕末での福岡藩の活躍は知られていませんよね。

しかし実はこの福岡藩、先ほど出て来た、長州藩と江戸幕府がぶつかった「禁門の変」の後、長州藩が取り潰されそうになったのを防ごうとしたんです。

それというのも、「今は日本国内で争っている場合ではない!」と分かっていたからだと。

そしてここで登場するのが、福岡藩黒田家の家臣、月形洗蔵のエピソード。

月形洗蔵は、長州征伐をやめさせ、幕府と長州の内戦状態を回避し、薩摩と和解させて日本を救おうという目的を持って動いていた。そう、彼こそが『薩長同盟を最初に実行しようとした人物』であった!

『それ(薩長同盟)を実際に行える立場に初めて立ったのは洗蔵かもしれない』―P169より

具体的な例としては…
禁門の変の後、長州派の過激派の公家であり、長州に亡命した三条実美らの処遇問題を、福岡藩が引き取ることで解決し、長州と幕府と薩摩の和平を成立させたという話が紹介されています。

これも、「何だそんなことか。公家を引き取っただけだろう」と、簡単なことに聴こえますが、そうではないのです!これがいかに凄いことか?を、分かりやすく説明してくれています。

…というのも、この時亡命していた彼ら公家の存在は、いわば「爆弾」である、と。

過激派とはいえ、公家ですから、切腹させるわけにもいかない。
長州派を天皇が嫌っているため京に戻すこともできない。
かといって長州藩が彼らを抱えたまま降伏しても幕府は当然、受け入れない。
しかし、長州としても、彼らを守らねばならない。

…こんな取り扱い注意の「爆弾」をどうするか問題で、和平交渉が暗礁に乗り上げてしまった。

しかし他の藩は、とばっちりを食らうことを恐れ、知らんぷりをしていた。この「爆弾」に関わることは、それだけリスクがあることだったからです。

そんな時に、手を挙げて彼らを引き取り、薩摩と長州と幕府の和平を成立させたのが福岡藩黒田家であったと。

これ、凄いですね…。凄い勇気!
自分たちの藩のことだけ考えていたら、こんな行動は到底取れません。
日本全体のことを考えていたからこそ、リスクを取ってでも名乗り出た。だからこそ、そういう行動が取れたんですよね。

改めて考えると、より、この凄さが分かってきます。

この時、誰も名乗り出ず、和平交渉が決裂し、幕府が長州を攻めて、内戦になっていたらどうなっていたでしょうか。日本は弱り、欧米列強の植民地となっていたかもしれません。

それに、長州藩出身で幕末に活躍した志士といえば、高杉晋作や桂 小五郎(木戸孝允)などがいますが、こうした有能な人材も、もっと失われていたかもしれません。
…そう考えると…。本当に凄いなぁ。福岡藩も、凄いじゃん!ありがとう福岡藩!

改めて、色んな人間の動きで歴史が紡がれていったのが分かります。

しかしこうして、いち早く薩長を仲直りさせよう!と、いち早く実行しようとした福岡藩の存在は、なぜ我々にあまり知られていないのか?

それは、その後『福岡藩内において、守旧派の巻き返しがあったからだ』と。

このことに関しては、割とよく知られていますよね。(高校の日本史の教科書には出てきたような気がします。)「乙丑の獄:いっちゅうのごく」と呼ばれているものです。

…幕府が第二次長州討伐に踏み切った際、黒田家の守旧派達はビビりまくりました。

「長州を庇った我々は、幕府に潰されてしまうかもしれない。
藩が潰されたらたまったもんじゃない。幕府に従う姿勢を見せないかん!」
という感じではないでしょうか。

それで…月形洗蔵は斬首となり、亡くなりました。他にも、藩内の勤王派は捕らえられ、幽閉。
これによって、福岡藩内部の空気は一変してしまい…彼らは、幕末の舞台から姿を消すこととなります。

とても有能な人材を…。ああぁ。

ちなみに、開明的であった当時の黒田家当主、黒田 長溥が、なぜ月形洗蔵らが殺されてしまうのをみすみす容認したのか、詳しい理由は分かっていないようです。が、これが理由で、今でもあまり人気がある藩主ではないようです。

そして今も、後世の我々に、黒田藩の動きはほぼ忘れ去られています。が、こうした先駆者達が居たということを知ることで…より歴史が楽しくなり、深く知って考えていくことができて楽しいです。

以上、少しエピソードをご紹介しましたが…面白くないですか?歴史好きなので、とっても面白いです。歴史を身近に感じて、興味を持って感じられる本です!

最後に

この本の感想と良かった所をまとめつつ書いてみました。

もちろん坂本龍馬の様々なエピソードや背景も目白押しで、改めて坂本龍馬やその師であった勝海舟の凄さなんかを知ることができますよ。

文章も簡潔で読みやすいですから、ありがたいです。

歴史を学ぶ意義というのは、やはり歴史から学ぶこと。今に活かすことかなと感じます。
そういう意味で、また色んな歴史の本を読んでいけると良いなぁ。

 - おすすめ本, 歴史